
はじめに
2008年、第20回横浜ミートフェアでグランドチャンピオンを受賞した時、福永畜産の福永充氏は素直に喜べない感覚がありました。
業界関係者からの祝福の声、地元メディアの取材、そして重いトロフィーを手にしながら、彼の心には一つの疑問が渦巻いていたのです。
「この素晴らしい肉は、果たして本当にお客様に届いているのだろうか?」
それから15年以上が経過し、現在では7回のグランドチャンピオン受賞を誇る福永畜産。しかし、その輝かしい実績の背景には、畜産業界の常識を覆す「ある決断」がありました。
今回は、初回受賞から現在に至るまでの福永氏の葛藤と、それが生んだ革新的な取り組みについてお伝えします。
2008年:初めてのグランドチャンピオン、初めての疑問
栄誉と同時に生まれた違和感
第20回横浜ミートフェアでのグランドチャンピオン受賞。福永畜産にとって記念すべき初回の受賞でした。
表彰式では多くの関係者から祝福を受け、地元メディアも大きく取り上げました。しかし、福永氏の心には素直に喜べない複雑な想いがありました。
「もちろん嬉しかったです。でも、同時に大きな疑問も生まれました。この賞を受けた牛の肉は、どこでどのように食べられているのか。お客様は、この牛がどれだけの愛情で育てられたかを知っているのか」
市場出荷の限界を感じた瞬間
一般的な流通経路
- 福永畜産 → 食肉市場
- 食肉市場 → 卸業者
- 卸業者 → 小売店・飲食店
- 小売店・飲食店 → 消費者
この過程で、福永氏が大切に育てた牛の情報はほとんど失われてしまいます。消費者は「A5ランク和牛」という画一的な情報しか得られず、その牛がどのような環境で、どのような想いで育てられたかを知ることはできません。
農獣医学部で学んだ知識との乖離
大学で科学的な畜産管理を学んだ福永氏には、自分の技術と市場評価の間に大きなギャップを感じていました。
福永氏の技術的優位性
- MUFA値62%の実現(業界平均50-55%)
- 融点13℃の口溶けの良さ(業界平均15-20℃)
- ICTを活用した科学的な健康管理
- 「炊き餌」による独自の栄養管理
これらの技術的な差異が、従来の流通では「A5ランク」という単一の評価に収束してしまう現実に、深いもどかしさを感じていました。
2010年:2回目の受賞で確信した「何かが間違っている」
第7回霜降り牛枝肉共励会グランドチャンピオン
2010年、再びグランドチャンピオンを受賞しました。しかし、この時の福永氏の心境は2008年とは大きく異なっていました。
「2回目の受賞で確信しました。自分の技術は間違っていない。でも、この素晴らしい肉の価値が、お客様に正しく伝わっていない」
市場関係者からの「値下げ要求」
受賞後、ある市場関係者からこんな提案を受けました:
「素晴らしい肉ですが、もう少し安くできませんか?市場の相場もありますので…」
この瞬間、福永氏は愕然としました。グランドチャンピオンという最高の評価を受けた肉でさえ、市場では「価格競争」の対象でしかないのです。
「本当の価値」が伝わらない現実
この時、福永氏は「本当の価値」について深く考えるようになりました。
従来の価値評価
- 格付け(A5、A4等級)
- 市場価格
- 見た目の美しさ
福永氏が考える真の価値
- 科学的な品質データ(MUFA値、融点)
- 飼育環境とストレス管理
- 生産者の想いと技術
- お客様との心の繋がり
2011年:運命を変えた「ある出来事」
東京の高級レストランからの電話
2011年の秋、福永氏の人生を変える出来事が起こりました。その頃になると卸業者からの紹介で東京の高級レストランでも指名で使っていただくようになっていました。そんなレストランのシェフから、こんな電話があったのです:
「福永さんの牛肉を使わせていただいているのですが、お客様から『この肉の生産者の事を聞きたい』という声をいただきました。でも、流通の関係で、福永さんの牧場の情報をお客様にお伝えできません。何か良い方法はないでしょうか?」
「顔の見えない関係」への気づき
この電話で、福永氏は現在の流通システムの根本的な問題に気づきました。
生産者側の課題
- 自分の牛を食べてくれるお客様の顔が見えない
- お客様の評価や感想が直接聞けない
- 改善点を把握する機会がない
消費者側の課題
- 生産者の想いや技術を知ることができない
- 質問や感想を伝える手段がない
- 本当の品質を判断する情報が不足
決断の萌芽
この出来事以降、福永氏の心には一つの想いが芽生え始めました:
「自分で店を持って、直接お客様に肉を提供したい。そうすれば、本当の価値を伝えることができる」
2012年:「ある決断」の実行
株式会社牛道設立
2012年、福永氏は畜産業界では異例の決断を下しました。株式会社牛道を設立し、直営焼肉ダイニング「Gyudo!」を開業したのです。
この決断は、多くの関係者から反対されました:
「畜産だけでも大変なのに、飲食店経営なんて無謀だ」 「失敗すれば、牧場経営にも影響する」 「餅は餅屋、畜産家は畜産に専念すべき」
妻の理解と支援
しかし、福永氏には強力な支援者がいました。長年食育にも携わってきた妻や、家族です。
「あなたがそこまで考えているなら、やってみましょう。私も経験を活かせるかもしれません。」
夫婦二人三脚での挑戦が始まりました。
「6次化産業」という革新
福永畜産の取り組みは、後に「6次化産業」と呼ばれるモデルの先駆的事例となりました。
6次化産業の定義 生産(1次)× 加工(2次)× 販売(3次)= 6次化
この掛け算の関係が示すように、どれか一つでもゼロになれば、全体の価値もゼロになってしまいます。すべてを一貫して管理することで、最大限の価値を生み出すことができるのです。
2013年:決断の正しさを証明した年
名誉賞★最高賞とグランドチャンピオンのダブル受賞
2013年は福永畜産にとって記念すべき年となりました。全国肉用牛枝肉共励会で「名誉賞★最高賞」、第7回全国肉事業枝肉共励会で「グランドチャンピオン」をダブル受賞したのです。
この快挙は、直営店舗開業後わずか1年での成果でした。
「一頭買い」システムの効果
直営店舗では「一頭買い」システムを導入。これにより、以下のメリットが実現しました:
品質面のメリット
- 個体の特性を完全に把握した調理
- 希少部位まで無駄なく提供
- 最適な熟成期間の個別設定
お客様へのメリット
- 希少部位への確実なアクセス
- 生産者からの直接的な情報提供
- トレーサビリティの完全実現
お客様との直接対話の価値
直営店舗で最も価値があったのは、お客様との直接対話でした。
「この肉、本当に美味しいですね。どのように育てられたのですか?」 「MUFA値って何ですか?他の肉との違いを教えてください」 「生産者の方に直接お礼を言えるなんて、感動しました」
このような声を直接聞くことで、福永氏の「決断」が正しかったことを確信しました。
2017年〜現在:継続的な進化と拡大
事業拡大期
2017年: 「個室焼肉 牛道 はなれ」オープン 2018年: 「ギュウドウ!GEMS三軒茶屋店」オープン 2020年: 精肉販売、通信販売事業開始 2023年: 輸出開始 2024年: キッチンカーでの販売開始
継続的な受賞
直営店舗開業後も、品質向上への取り組みは続き、受賞も重ねています:
2018年: 全国肉用牛枝肉共励会 最優秀賞 2019年: 第13回全国肉事業枝肉共励会 グランドチャンピオン 2023年: 第17回全国肉事業枝肉共励会 グランドチャンピオン 2024年: 第21回霜降り牛枝肉共励会 優秀賞
データで証明される品質
現在、福永畜産では以下の品質データを開示しています:
- MUFA値: 平均62%(業界平均50-55%)
- 融点: 13℃(業界平均15-20℃)
- A4等級以上率: 90%
- 年間出荷頭数: 約600頭
これらの数値を、お客様に直接説明できることが、直営店舗の最大の価値です。
「ある決断」の真の意味
単なる事業拡大ではない革新
福永氏の「ある決断」は、単なる事業の多角化ではありませんでした。それは:
生産者としての使命の再定義 「良い牛を育てる」から「お客様に本当の価値を届ける」へ
畜産業界の新しい可能性の提示 従来の流通に依存しない、新しいビジネスモデルの構築
科学と想いの融合 データに基づく品質証明と、生産者の想いの直接伝達
業界への影響
福永畜産の取り組みは、他の生産者にも大きな影響を与えています。現在、全国各地で同様の6次化産業に取り組む畜産農家が増加しています。
お客様への価値提供
現在、焼肉ギュウドウを訪れるお客様は、以下の価値を体験できます:
品質面
- 科学的データに基づく最高品質の肉
- 希少部位への確実なアクセス
- 最適な熟成期間での提供
- 完全なトレーサビリティ
情報面
- 飼育方法の詳細情報
- 品質データの開示
- 最適な調理法・食べ方の提案
まとめ:決断から13年、その成果と未来
13年間の成果
2012年の決断から13年が経過した現在、福永畜産の取り組みは以下の成果を生んでいます:
事業面
- 安定した6次化産業の運営
- 継続的な品質向上と受賞歴
- 輸出事業への展開
社会面
- 畜産業界の新しいモデル提示
- 地域経済への貢献
- 持続可能な農業の実践
お客様面
- 真の価値を理解する顧客の獲得
- 継続的な満足度の向上
- 生産者との信頼関係構築
未来への展望
福永氏の挑戦は現在も継続しています:
「この13年間で、自分たちの方向性は間違っていないことが証明されました。これからも、さらに多くのお客様に本当の美味しさを届けていきたい」
「ある決断」の普遍的価値
福永氏の決断は、畜産業界だけでなく、あらゆる生産者にとって示唆に富むものです:
- 既存システムに疑問を持つ勇気
- お客様との直接的な関係構築の価値
- データと想いの両立
- 長期的視点での価値創造
グランドチャンピオン7回受賞という輝かしい実績の背景には、一人の生産者の勇気ある決断と、それを継続してきた信念がありました。
その決断こそが、今日の焼肉ギュウドウの価値の源泉となっているのです
【筆者プロフィール】 福永(株式会社牛道役員) 鹿児島県出身。1級フードアナリスト・管理栄養士・栄養教諭・日本箸教育講師。 25年間の学校栄養教諭経験を経て。


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