その夜、箸を置いてしばらく黙ってしまった、と彼女は言った。
舌の上に、熱はなかった。ただ、静かに消えていった、と。
知人から連絡が来たのは、さつま福永牛のサーロインを送った翌週のことでした。「フライパンで焼いただけなのに、家族全員が黙り込んでしまって」と。誰も言葉を発しなかった、というその夜の食卓の様子を、彼女はうれしそうに話してくれました。
「不思議なのよ。溶けるって感じ、したことなかった」
「溶ける」という感想を、牛肉に使ったのは初めて聞いた言葉でした。その一言から、「口溶け」という体験の正体を、きちんと言葉にしたくなりました。
その「くどさ」には、理由があります
贈り物でもらったA5ランクの和牛を焼いた。値段も等級も文句なし。なのに、どこかくどい。二切れ食べると、もういいかな、という気持ちになる。
「高い肉なのに、なぜか感動しなかった」——この体験には、ちゃんと理由があります。答えは、霜降りの「量」ではなく「質」、もっと正確に言えば脂の融点にあります。
脂の融点13℃、という数字
脂には、固体から液体に変わる温度があります。それが「融点」です。一般的な和牛の脂の融点は15〜20℃といわれています。口の中の温度はおよそ36〜37℃なので、ほとんどの和牛の脂は、口に入れれば当然溶けます。では、さつま福永牛は何が違うのか。
さつま福永牛の脂の融点
13℃
一般的な和牛が15〜20℃のところ、2〜7℃低い。
少し肌寒い秋の朝の気温と同じです。
肉を焼いたフライパンから皿に移し、家族が席についた——そのわずかな時間のうちにも、表面の脂には綺麗な輝きが。そして口に入れると旨味がとけて、さらに噛むと同時に広がり、飲み込む前に脂っこさが消える。
なぜ融点が低いのか——MUFA62%という数字
脂の融点を左右するのは、脂の「種類」です。牛の脂には、大きく分けて「飽和脂肪酸」と「不飽和脂肪酸(MUFA)」があります。MUFAは融点が低く、口溶けをよくします。さつま福永牛のMUFA値は平均62%。オリーブオイルに多く含まれるオレイン酸と同じ種類の脂が、霜降りの62%を占めています。「体にやさしい脂」として知られるオリーブオイルと同じ成分が、この牛の中にあります。
比べてみると
一般的な和牛
さつま福永牛
「胃もたれしない霜降り」は、存在します
「霜降りはくどくなる」という思い込みは、脂の「量」だけを見てきた習慣から来ています。しかし脂の「質」——MUFAの比率と融点——が変わると、体への負担がまるで違います。融点の低い脂は消化されやすく、胃に長く残りにくい。食後に「重たい」という感覚が少ないのは、このためです。
霜降りの負担は、脂の量ではなく脂の質によって大きく変わります。融点の低い不飽和脂肪酸を多く含む脂は消化されやすく、食後に胃が重たくなりにくい。さつま福永牛の脂は、多くの方が思う「霜降りのくどさ」とは、構造的に異なります。
最後に
「不思議なのよ。溶けるって感じ、したことなかった」と言った彼女に、あのとき筆者はうまく説明できませんでした。
でも今なら答えられます。「あの牛の脂は、13℃で溶けるから。口に入れる前から、もう溶けはじめているんです。」
脂の融点を知ってから、肉の選び方が変わりました。霜降りの多さより、脂の質を見るようになりました。一度、さつま福永牛を食べてみてください。「溶ける」という体験が、何なのかを教えてくれます。